嗚呼、人生過ぎる

社会人一年目に感じたこと

就活時代に自分の立ち位置を顧みず漠然とどんな仕事が世にあるか(当時は社会に対しての知識は皆無)気になり調べるうちに、平均以上の収入であったり、単純に横文字だとか外資系だとかでコンサル業界に憧れを持ったわけです。

 

初めにエントリーしてみようかと調べたのがA社ですぐにその難易度の高さを知って自分じゃ無理だなと思ったけど、それでも諦めきれなかった僕は業界や条件を絞って奇跡的にBig 4と呼ばれる名高い法人の傘下(実態は横並びということは声を大にしていいたいけれども)としてジョインさせていただくわけで。

 

コンサルタントって何するのかよく分からないまま入社後に本社の方と合同で研修を受けて一緒に学ぶうちにこの仕事を自分がやっていける自信を、ただでさえ特にないままの状態から絶対に無理だろという確信に変わり同期とも劣等感を密かに感じながら過ごしていましたと。

 

業務内容をなるべく具体的に且つ単純に並べると

・クライアント(業界問わず)へのITシステムの導入支援

・導入、運用設計、運用保守という一環したサポート

となり、要は広い業界の企業、それも基本的に大企業相手に各クライアントごとの業界情報、企業状態を把握した上で我々ができる最適なサポートを検討、提案、実行する。

それはシステムの導入に始まり、インストールしたからはい終わりではなく、その後の運用方針や体制、サービスレベルを細かく協議、定義していき導入後運用される中で発生するインシデントや問い合わせの対応までこなすものです。

 

とにかく抱える範囲が広く求められる能力も先が見えないということが見えたのが配属されてすぐのことで。

とは言えお金を頂いているからには責任もあるしやらないといけないと必死に鼓舞して頑張ってはいましたが、日々自分が取り組んでいることが将来のキャリアや目指すビジョンにどう繋がるのか疑問を持つ日々だったんですよね。周りの人は親切で仕事が嫌になった訳では無いですが大学までとは違い、自分が正しいレールの上をちゃんと走れているか不安は常にありました。

 

ビジネスマンやIT関係者として最低限の知識に加え自信の目指すキャリアとして簿記、基本情報、TOEICなどの資格も免許程度でも力をつけておきたいと業務外の研鑽も並行して気づいたら2年目になり下に入るメンバーのサポートをする仕事も増え、、、更にはプライベートでもジェットコースターの如しアップダウンを経験させていただいて。

 

仕事をまともに出来ないくらいの心身状態にもなり休みもいくつか頂戴しましたがそういった時間の中で本当に本当に色々と考える機会として過ごせて今日に至るわけですが。

 

2年目になって感じること

 

上記でも説明した業務内容とそのカバーするべき範囲の広さに対応するためのここまでの努力の結果、

自分は万が一他の会社に移り、真新しい業界、職種でもそこそこ活躍できる自信はあるのでは無いかなと、思うようになったんです。もちろん虚勢も含みつつの至りですけど、

 

自社で提供しているシステムがユーザー企業の基幹システムとなるもので、詰まるとこ調達や購買、生産、販売、社内外会計など全般的な部門のデータ連携を効率化させるためのものです。

 

システム理解を深めるために担当領域の学習に加え、担当外の領域(例えば生産管理や会計、管理会計など)でも留学中の講義や簿記学習である程度の知識を持っている状態が今なんだなと思い、

 

それがどういう訳か精神的どん底の状態からでも前向きになれるきっかけになったんですよ!

 

一人でこの仕事は確実に出来ないと1年目に感じ、それは実態であり上司や他メンバーも理解しているからこそ協力することを大切に業務にあたれていることも今になってようやく理解出来たような気がしていて

 

人がいいからこそ、可能な範囲で貢献できることを増やしたく努力したいと思うしそれが巡り巡って自分に還元されると感じるので、

 

って考えている今も普通にポジティブになれていたりして、人生は目の前の事だけでなくて俯瞰して過去の頑張れたこと、辛いこと諸々含めて捉え方次第だなとしみじみ思ったのが昨日です。

 

退勤後、外出して読書するなかで外にいるのに没入して泣きそうになったり、どん底から長い時間をかけて這い上がってきたバンドのまっすぐな歌詞から深く共感して元気を貰えたり

 

情けないなぁ、惨めやなぁって思う日々でも自分にできる範囲で少しでもその時その時に思うかっこいい自分でありたいなぁと

 

もちろんまだまだ未熟過ぎると自覚していますが

これまで形骸化されて中身のなかった理想の人間性が出来始めてるぜってなったところを終わります。おやすみなさい。明日もがんばれ

 

【音楽の話】YUNGBLUDについて

僕の大好きなミュージシャンの一人であるYUNGBLUDの紹介になります。

 

イギリス出身のソロアーティストで特殊な生い立ちや経験を音楽に昇華している天才です。まじでかっこいいのと世界観が広がる感じがして出会えてよかったなーと感じるほど影響を受けているかもしれません。

 

詳細については調べたらいろいろ出てくるのでここではかるぅくだけにします。

(曖昧なところもあるので色々断言するのはこわやなわけです)

 

彼自身性的マイノリティ?(この表現で正しいのかわかりませんが)で、幼少期から家族からもそれが認められるまでに時には辛い対応を取られたとかいろいろあったようです。

 

またADHDでもあるようで、とにかく周りの人間とはかなりはみ出した存在だったようでそのために虐げられてきた過去もあるようです。

 

ただその経験をテーマに数々の素晴らしい楽曲を制作されていてそう言う意味でも尊敬です。しかも10分くらいでメロディーを作っていたりと、ただの天才でした。。

 

僕が彼の音楽と出会ったのがドイツに留学しているときにサブスクし始めたSpotifyでランダムに洋ロックとか流しながら散歩していたときにふと衝撃的なかっこいい曲が流れてきてなんぞやと調べたら彼でした。

 

ちなみにその時に出会った曲には彼含めて3人の異なるアーティストがコラボしたものでヤングブラッド以外にももう一人衝撃的な出会いをしました。

その曲は"I Think I'm Okay"という曲です。

YUNGBLUD / Machine Gun Kelly / Travis Barker (Blink 182)の3人がコラボ

 

 youtu.be

 

まぁじでかっこいいんです。

今の所僕の一番好きな曲です。

 

もちろん歌詞もストレートなのに深いしアツい

Blink 182のトラビスは知っていたんですが残りの二人はこの時初めて知り、すぐに引き込まれました。

 

そこからヤングブラッドについても詳しくほりほりするようになり色々とお気に入りの曲を知ることができました。

いくつか紹介します!

 

タイトル通りで彼の育った境遇についての曲です。

何も考えずに聴いてもかっこいいのですが歌詞を調べると心にくるものがあります。

youtu.be

ポップロックなリズムでかっこいいんですよね

めちゃくちゃ盛り上がります

youtu.be

 

Imagine Dragons のボーカルとコラボ

こちらもアツいです

youtu.be

 

これもめっちゃ好き

youtu.be

 

彼の音楽でこの曲のこのバージョンが一番好きです。

プロのミュージシャンってみんな上手なのは当たり前なんですけど、心がこもっていると言うか全力で歌っているのが特に個人的に惹かれます。

youtu.be

 

ほんとはもっと紹介したい好きな曲ばかりですがこんな感じです。

 

2022年に日本にもフェスで来日していたり、その時はこちらのルール無視で暴れていて賛否両論あったとかなかったとかですがいつかライブに参加してみたいです。

 

そんな深い内容じゃない気がするけど少しでも興味持って聴いてもらって気に入っていただければ感無量です。。。!!

 

【音楽の話】Bring Me The Horizonについて

僕の大好きなロックバンドの一つにイギリス出身のロックバンド"Bring Me The Horizon"というバンドがいます。

 

世界中ではわりと有名だと思うのですが周りに知ってる人がそんなにいなくてショボンです。よくバンド名を略してBMTHと称されるのでここでもそうします。

 

出会いはどのタイミングでどう知ったのか忘れてしまったのですが、大学生の当時国内外問わずさまざまなロックバンドを漁っていた僕はMy Chemical RomanceSum41、Blink 182などのポップパンク、エモロック系のジャンルがとにかく好きでした。

 

BMTHはアルバムごとにその曲のスタイルを大きく変えて賛否両論なのですが、自分はその変化も含めてすべて好きです。理由は後述になりますが。

 

初期はごりごりでデスメタル系?(ジャンルに定義については詳しくないので断言はできないですが)でヨーロッパを中心に支持を集めてライブやフェスでもノリノリでした。そこからエモ、オルタナティブといった感じでシャレオツかつかっこいいロックなスタイルになり、現在はポップ寄りな曲もありつつもロックの激しいかっこいい感じです。最高です。

 

個人的に今回BMTHについて書きたいと思ったかなのですが、彼らの作る曲の歌詞が特に好きだからです。

 

僕自身はキャッチーなリズムや音からであったり、ボーカルのクオリティの高さなどから好きな曲で出会うのですが、その中でも特に印象に残ったミュージシャンやバンドについてはどんな曲なのか、どんな人たちなのか詳しく知りたいと思い歌詞や曲の背景、メンバーの人柄などについて調べたくなります。

 

BMTHの書く歌詞はもちろん英語なのでその勉強も兼ねて見てみると、とにかく深いんですよね。

 

激しいロックやバンドの人たちが作る音楽って歌詞が浅かったりそんなに響かないようなことを歌ってるだけと思う人が多いかもしれませんが(個人的な偏見です)

 

なんと彼らの歌詞には哲学者や偉人の格言をモチーフに比喩表現としてあらあわしていたり、神をテーマにするような部分があったりするんですよね。

もはや文学のような芸術って感じです。

 

それでいてなお音楽自体がセンス抜群なので、とにかくハマりにハマる訳です。

 

ボーカルのOliver Sykesは全身タトゥーで仰々しい感じなのですが人柄は信念がしっかりしていてめっちゃいい人というギャップ凄すぎです。

 

正直もっといろいろ書こうと思えば書けちゃうのですが全然理路整然になりそうなので。

 

こんなバンドもいるよーくらいで今回は軽く紹介する程度でいいかなと思います。

 

最後に、個人的におすすめの曲を飽きるまで紹介していきます。

 

youtu.be

 

Drownは個人的に一番好きな曲かも

 

メロディーやボーカルのかっこよさもありつつ実は歌詞が深いんです。

ニーチェの格言を引用していたり、ライブでのMCも心が熱くなるのでぜひライブバージョンやアコースティックも聴いて欲しいです。

 

youtu.be

 

おそらく一番有名な曲かな?と思います。

僕はこの曲で「玉座」という英単語を覚えました笑

シンプルにクッソかっこいいです。ええ。

歌詞もすごいです。

 

youtu.be

 

最近めの曲(言うても何年か前になりますが)でこんなオシャンな曲も出したりしています。確かボーカルの奥様がポルトガル語話者の方で、お互い母語が異なるのですがそんな相手に英語で「愛してる」って言うのではなくポルトガル語で「fala amo」といって欲しいっていうシャレオツレベル高いサビで純愛感じまくりですね。

かっこいいです。ええ、ええ。

 

youtu.be

 

ほんとはもっと紹介したい好きな曲ばかりなんですけど疲れてきたんで最後に

昔のごりごり系の曲を。

激しいのになんか心地いいというか気づいたら頭振ってる感じです。

この曲の歌詞の中に"This is sempiternal"っていう部分があって、

"sempiternal"って今はもう死語なんですけど古い言葉で「永遠の」って言う意味らしいです。

個人的にこのワードがなんかすごくお気に入りでSNSのIDとかにも入れたりしています。いつかこの言葉のタトゥー入れてみたい。。。

 

以上、めっちゃ雑ですけどBMTHについてでした。

もし聴いてみて好きな曲とかあったら教えてください。泣いて喜びます(マジ)

 

【人生の話】ワンオクに出会って人生が変わった話

タイトルの通りなんですけど、自分の人生について軽く振り返ろうかと...

(長くなりそう)

→ 長くなりました

 

 

まず、

中学3年生くらいまでの自分

勉強も習い事も親に言われるまま嫌イヤやってきてどちらも特に優秀なわけでもなく(勉強に関して言えば中高一貫校に入学したのもあり周りと比べてかなり勉強はできない方だった..)ひょうきんなことをしているだけの平凡以下のクソガキでした。

 

もともとぜんそく持ちとういうこともあり小学生から続けていた(やらされていた)水泳もかなりハードな練習を週6で行い、今と違いまだギリ厳しい指導が許されるような環境だったので大変でした。今でもたまに夢でうなされるくらい..

 

学校の部活動の練習と違い、基本通っているスイミングスクールでの練習だったので学校がテスト期間だとしても練習が休みになることなんて無く、休もうと思うものならコーチから叱責をくらうような毎日で何に対しても無気力となり。。今思えばよく過ごしてきたなと...たぶん無知でバカだったのが功を奏していたのかも

 

趣味も特に無く、学校の友達も家の距離が離れており頻繁に遊ぶことはなく、、

とにかく水泳一筋でした(水泳の友達とは本当に仲良くさせてもらって感謝)

 

ワンオクとの出会い

中学も卒業間近な頃(たぶん2月とかそれくらい)にたまたまお兄ちゃんから映画を観に行こうと誘われ、当時のアパシーな僕は正直気乗りしないまま無理やり連れて行かれた形で映画館に行きました。

 

そこで観たのは実写「るろうに剣心」の京都大火編(漢字合ってるかわからん)でした。映画自体は普通に面白く、終盤で続編があるのかよってツッコんだ記憶があります。

 

問題はその後のエンドロールです。

 

突如流れてきたすこぶるかっちょええ音楽に衝撃を受け、誇張抜きに気づいたら体が前のめりになっていました。人生でこれだけ感動であったり衝撃を受けたのは後にも先ににもないんじゃなかと思うくらい。

 

激しいロックの演奏にネイティブレベルな英語のボーカル。もちろん歌も半端ない。

 

当時音楽に関してももちろん興味のなかった無知な僕なので、その曲を担当していたバンドが日本人バンドだなんて夢にも思わず...

 

ただひたすら流れてくる音楽に夢中になりエンドロール内で表示されていた主題歌担当ミュージシャンさえもほぼ見逃すくらい没頭していました。

 

ぎりぎり「ONE なんとか...」までは覚えており帰ってからも余韻がおさまらず、あれは誰だったのか色々と調べるうちにそれがONE OK ROCKだったと知りました。

 

ワンオクに夢中に

当時スマホを買ってもらっていたこともあり、YouTubeで彼らの曲について調べているとさらに引き込まれていきました。

 

どの曲もとにかくかっこいいしMVも最高

ここではまず曲のメロディーがいいな程度のかっこいいでしたが、やはり少年はやたらかっこいいものに対してロマンを抱いたり、憧れたりするわけです。

 

「かっこいいんだけど、おれバカだから英語の歌詞、何言ってるかじぇんじぇんわかんねぇや!」

 

ここから歌詞の和訳を調べて曲を深掘りなんかしたり、バンドのついてもいろいろと調べるようになりわかったのが、

 

彼らは海外(アメリカの音楽市場)を目標に活動を行っている、そのため歌詞も英語であったり、ちょうど当時の制作作品(人生×僕=や、35xxxvなどのアルバム)には海外プロデューサーを起用した楽曲制作を行っているということです。

 

僕が彼らを知った時にはワンオクはすでに日本の市場ではかなりの成功をおさめている状態(武道館ライブなんかも早い段階でやっていたり)なのに目標が目標だからさらに進化しようとしているのを知って「ほぇ〜!かっけぇなぁ」で終わらずに、

 

「おれも彼らみたいになりてぇなぁ!!」

と夢見るようになりました。

 

このときそれまでの人生の中で初めて自分から何かをやりたいと思ったわけです。

 

英語で海外を目指すように

しかしそうはいっても自分に音楽の才能が1ミリもないことは当時自覚していました(鬼音痴)ので、彼らとは少し違ったやり方で、でもルーツは同じものでありたい。なんかないかなと考えていると、英語と海外にたいして興味を持ち始めました。

 

特に日本人が海外で活躍している姿を彼らを通して知ることができ、その姿にひたすら憧れを持ちました、自分は音楽じゃなくても英語を使って外国の人と友達になったり、なにか特別なことができるんじゃないかなと夢見るようになりました。

 

繰り返しますが当時の僕はアホバカマヌケが綺麗に当てはまる頭を持ち合わせていたので幸運にも「自分になんかそんなことできっこないよ..」とか「現実を見たほうがいいよ..」とかいうネガティブな感情は皆無でした。逆にそれほどまでにワンオクに対して強い憧れと、その姿を目指すという固い野心があったくらいです。

 

ポジティブ思考は今でも自分の長所かも・・・

 

一世一代のチャンス

追い風が吹いたかのような好奇がここで合流します。

2つあるわけでやんす。

 

ひとつめ

ちなみに当時好きだった子に振られた僕なのですが、正直バカすぎてなんでその子のことを好きになったのかもよくわからないまま撃沈したわけです、、

それだけではなく、中学では特に何かに秀でたわけでもなくおふざけだけしていた小僧だったので周りの友達からは「おもしろいバカ」くらいにしか見られなかったと思います。

 

実は内心そんな風にとだけ思われていることにフラストレーションを持ち続け、いつかおまんら見返したるってずっと秘めていたわけです。

 

しかし中高一貫校なので受験なしで高校進学できる僕は勉強ができないまま内部進学してしまいます。そこで高校1年ではいくつかのクラスに別れるためのクラス分けテストみたいなのがあり、進学コースその1、進学コースその2、そのほかが一般クラスという風な内訳でした。

 

身バレ防止のため詳細は伏せますが、進学コースその2がとある理由で魅力的で是が非でもそこに入りたいと無謀にも思いました(当時の僕は本当にバカなのでなぜか行ける自信で溢れてたんすよね...)

 

結果は当然、一般クラスに進学。

それも風の噂では最も成績の芳しくないクラスといわれるクラスに...

 

当時謎に自信満々(テストはまじでほぼわからず)な僕はクラス分け発表の張り紙を見てまずで膝をついて崩れ落ちたのを覚えています笑

 

あまりのショックに帰宅してからも親と口をきかないくらい落ち込みました。(普段はいい子ちゃんでした)

 

この時になってようやく自分は本当に無能で今まで勉強をしてこなかったから当然の結果だと悔やみまくり凹みまくりでした。

まじで自分に対してやら、周りからのイメージやらに悔しさを覚え変わってやると決意したわけです。

 

この失敗がなかったら今も井の中の蛙でゲコゲコ惨め生活だったかも。

 

2つめ

1つめの挫折とつながりますが、その後密かに闘志をめらめらさせたまま、英語に特に力を入れて勉強を続けるわけです。

 

希望していた進学クラスに入りたかった理由としてクラスの名称がかっこよかったのもあるし、イメージもあるし、当時振られた相手もそこを希望するらしいから見返したろだとかいろいろ理由はありましたが、一番はそのクラスに入れると高校2年時に修学旅行の代わりにカナダへの3週間のホームステイに行ける権利があることでした。

 

ちょうどワンオクに憧れ、英語をがんばろうとしていた自分にとっては喉から手が出るほど掴みたいチャンスでした。

 

しかし、自分は現在一般クラスに入れられてしまい当然その権利すらない状態。

 

だがしかし!

 

高校2年に進級するタイミング再びクラス替えのチャンスがあると知ります!激アツ

 

そしてそのクラス替えは希望制で、1年次の成績を鑑みて決まるそう。

 

当時進学クラスなだけあり、勉強が大変なのか1年から2年のタイミングで進学クラスから一般クラスに移りたいと希望する生徒がそこそこいたのもラッキーですし、自分自身1年間がんばっていい感じの成績もとり、担任の先生もその思いをちゃんと理解してくれ、念願の進学クラスに入れました!

 

そしてカナダへの切符をむしり取ったりました。

 

めっちゃ長くなったけど、挫折とカナダへのホームステイが当時の追い風となり僕の英語熱をさらに加熱させました。

 

余談

 

高校一年生の僕は特に英語に力を入れていましたが、主体的にやろうと思えたのでかなり楽しみながら勉強できました。

大大大好きなワンオクの曲にでてくる英語の歌詞でわからない単語や表現で調べて覚えたものが授業のなかで取り上げられると心の中でニヤニヤしながら(あっ、あの曲にでてた単語だっ!意味わかるもんね〜)とか

 

この頃にやっと勉強に対して小さな達成感から快感を覚え、楽しいかもと思えるようになりました。これはまた別にお話できたらと思いますが。。。

 

いざカナダへ(初海外)

さていよいよ念願のカナダです。

とにかく楽しみだったし、結果としては本当に最高の経験をさせていただきました。

 

現地に着いたらすぐにそれぞれのホストファミリーと合流してそこからはオールイングリッシュ生活の始まりです。

 

どれだけ英語に力を入れて一年勉強したとは言え、当時の英語力はまじでかわいいものでした。でも拙い英語でも言葉が通じたり、外国の人たちとコミュニケーションをとっている自分自身にたいしてとにかく楽しさを感じて積極的に話すようにしていました。

 

もちろんもっと深く細かく伝えたいことがあるのになんて言えば良いかわからないもやもやはありましたし、もっと勉強してこれば..とも思いました。

 

カナダでは本当に素晴らしい家族と出会えて今でも連絡を取り合うくらいです。

本当に感謝が止まりません。

なんなら後述する話で再登場するくらい

 

そんな達成感と課題でいっぱいな3週間はあっという間に終わり、日本に帰ってきました。

 

次の目標

完全燃焼し帰国したかと思えば当時の僕はまだまだ野心に燃えていました。

というのもカナダでの経験を通してさらに!もっと!英語をやっていきたい!まだまだこんなもんじゃない!と思うようになり次を考えるように。

 

当時高2の半ばで進学クラスということもあり大学を検討するタイミングでした。

実は高校に進学して嫌だった水泳と決別し、新たにフェンシングの部活動をしておりました。これがまたおもろいのなんので英語と同じくらいどっぷり没頭しておりました。

 

大学でできるなら英語もフェンシングもやりたいと思い、そのためにはフェンシングでは何かしら結果を残さねばと奮闘していましたがなかなか叶わず...

 

道は残ってはいましたが厳しそうというのもあったり、やっぱり大学でも英語は絶対外したくないと思いフェンシングはそこで区切りをつけ英語での進学を決めました。

 

大学で英語を専攻するといっても具体的には留学をしたいと思っていました。

ここでも自分からちゃんと留学がしたいと思えました。成長すね

 

いざ大学へ

受験です。

がんばりました。

ここでは特に書き連ねることあんまないなと思ったのですが、ひとつあるとしたら

自分の家庭は決して裕福なわけではなかったので突然息子が「留学してぇ〜よ〜」と言っても経済的な理由で親には出資を速攻却下されるのは目に見えていました。

 

ここらへんで僕はただモノをねだる子供と違い、相手に納得してもらえるよう実績を叩き出してやろうとニヤニヤ画策するようになったわけです。

 

もし留学が実質タダでできるとしたら彼奴等(親)も文句はいえまいニヤニヤ

そしてそんな制度のある大学を探し、受験し合格しました。

 

大学でもクラス分けです。高校の二の舞にはしません。

ちゃんと勉強してエリートコース(仮称)に行きました。

というのも実質タダで留学できる条件としてそのエリートクラスにいることが第一だったので。

 

大学での経験

「実質タダで留学決行作戦」には数々の達成条件があり、ざっくりいうと

  • カリキュラムを一定の成績で修めること
  • 上記の授業はすべて外国人教授によるALL English
  • さらに英語関連の資格試験等で一定のスコアを期限内に確保する

などなど、、

 

なかなかタフでしたがなんとかがんばってクリアしていきました。

大変だったのにも関わらず頑張れたのはいろいろと理由があったからです。

 

絶対に留学をしたかったから

これは一番大きな理由でした。もはや執念

自分で決めたことだしそこに責任を持ちたかったので。

なんのために自分が親を説得して努力してここにいるのか常に忘れないようにしてモチベーションをキープしていました。

振り返ると大学1年あたりが一番夢中に努力していたかも

周りを見返したかった

これは高校生の時からですが、やっぱり自分を変えて周りをギャフンと言わせたかったのもあります。無難にダラダラ過ごすだけじゃそこは絶対に変えれないと思っていたので。

大学に入り、地元と離れた場所ということもあり長期休みなどは帰省して地元の友達と近況を話したりするのですが、そこではみんな昔の懐かしい思い出だけを話し盛り上がっているんですね。僕はそれもいいけれどやっぱり今現在みんなが何をしているのか、何を目指し、どう頑張っているのか、苦労していることはなんなのかとか話したかったです。せっかくみんな卒業してから別々の道に進んでいるわけですから。

 

そこで僕は自分が留学を目指して努力していることも話したいですし、周りの話も聴きたいなぁと思い、また少しメラメラ加速でした。

 

いざ留学が決まりいついつからどこに留学してくるって話をすると周りも驚いていたのでこれは少し達成できたかも。満足はしてないけど!

ただただ英語を学べる環境が楽しくてしかたなかった

これもめちゃ大きかったす。

大学に留学に来た外国の学生と友達になって彼らとの交流からも多く学ばさせてもらえたし、さらに頑張る気持ちが強くなりました。

実はここで出会ったアメリカ人の親友とはこのあと最高の形で再会できたのです...

 

いざ留学!ドイツへ!

英語やってきたのにドイツ!?って自他共に?が止まらないですが笑

 

実は留学の条件もあらかた達成したタイミングでどの提携先の海外大学へいきたいか希望を出せるようになり、そこでそのリストを見てみると

 

もちろんそのほとんどは北米のアメリカ・カナダでしたがいくつかヨーロッパの国の大学も載っていました。

 

もちろん現地で使われている公用語は英語以外の言語ですが、留学先大学での授業は英語で受けれるためリストに挙がっていたらしいです。

 

正直かなりのノリで第3希望くらいにドイツの大学を選びました。

強いていうなら以下の理由があります。

  • ドイツ留学の響きがなんかかっこええ
  • せっかく候補先としてあるのならただ英語圏に行く以外の特別な経験ができるのでは??
  • 以前に大学の課題で海外の協定校についてリサーチする際に取り上げたから

 

これらの理由です。まさか本当に選ばれるとは思わなかったけど(1、2希望はアメリカ・カナダの大学だった)

 

結果としてドイツに留学に行けたことは本当に良かったと思います。

あのときの直感(ノリ)を信じて良かった笑

 

ドイツでの生活

そんなこんなで、高2のカナダぶりの海外(初ヨーロッパ)、そして念願の留学が始まります。

いくらドイツとはいえ空港では英語もあるし大丈夫かと思いきやフランクフルト空港、意外とでけぇしドイツ語ばっかりだし早速迷子に。

 

なんとかスタッフに尋ねながら鉄道のチケットを入手し大学のある街に移動し、諸々の手続きを済ませ留学生活がスタートします。

 

自分を含めた日本からの留学生以外にもトルコ、チェコアルバニアフィンランドボスニア、韓国、アメリカなどなど世界中から多くの留学生があつまり彼らと仲良くなれ最高にインターナショナルな環境でした。

現地の大学ではドイツについて学ぶ授業やドイツ語の授業のほかにビジネス学や生産管理など難しくも興味深い内容について学ぶことができ充実していました。

 

向こうでビールにハマれたのも最高でした。とにかく飲み会が多く、その度に交流を広げられ、二日酔いで次の日大学に行くような毎日(ほどほどに)

 

ドイツ人の現地学生向けの東アジア学部的なのもあり、日本語を学習しているドイツ人の友達も多くでき、彼らの日本語の授業に参加してみたりもしました。

 

そのほかだと、EU圏内では国境の移動がかなり容易であることもあり諸国の旅行も楽しめました。フランスのパリ。イタリアのミラノ、オーストラリアでスノボなど

 

そして1年間2学期分の留学期間で最初のセメスターを終え長期休みに入った時にさらになにかしてぇと思い、数年ぶりにカナダのホストファミリーに連絡をとってみました。

(ここで再登場!!)

 

なんと大学が休みの1ヶ月の期間ふたたび無償で彼らのところに滞在させてくれました!

 

僕「またカナダ行きたいんやけど1ヶ月滞在させてもらってもいい?」

ファミリー「いつでもウェルカムなんやで」

 

くらいのノリで快諾してくれて感謝...!

 

そんなこんなでドイツからカナダに飛びました笑

 

カナダアゲイン

久しぶりにお世話になったカナダのホストファミリーに再会しました。

英語を頑張ってきた中で縁に恵まれてこうやってまた会えたことに感激です。

 

成長したわいの英語であの時話せなかった深い話やったろ!と意気込んだはいいものの

なぜか「あれ?なんて言ったのか聞き取れない」→「聞き取れないから何を話せば良いか..」といった状況がときどきありました。

 

それもそのはず、高校生の当時はおそらくホストファミリーはそうするように言われていたのか簡単な英語でゆっくり話してくれていたのです。

 

大学で英語を専攻しさらに留学をもしていることをファミリーは知っていましたから(連絡取り合っていたから)当然ネイティブとして当然のスピード感で話してくれるわけです。やはりここでもまだまだ努力不足だったなと思うことはありつつも、また彼らと交流できることに感激しながらいろいろとお話しできました。

 

いつか彼らが日本に来てくれた際には精一杯恩返ししたいと密かに思っています。

突然の留学終了

ちょうど、カナダでの生活が終わろうとしていた時、世界中で例のウイルスが蔓延し始め、なんとかドイツに戻れたのはいいですが、パンデミックの影響により大学は一時休講となり、そして日本の大学からも突然の帰国命令が発令されました。

 

留学生活、当初の予定の半分ほどで日本に帰国せざるを得なくなり、不完全燃焼という形でなんとか日本の帰国してきました。

当時、やっぱりアジア人という見た目だけで街のスーパーや公園などで少なからず差別を受けて凹んでいたのですが、そんな時にドイツ人の友達はめっちゃ気遣ってくれて仲良くしてくれました。最後には帰国前にお別れのパーティーや!!(ほんとは禁止されている)って感じで見送ってくれたのは感謝しかないっす。

そんで現在

帰国してからというものの無気力状態になり、いやしかしこのままではあかん。次に進まねばと自分を振り返るようにしました。

ちょうど、就活を控えていたというのもあり自分のこれまでを振り返り、これからのことを考えるにはいいタイミングではありました。

正直、ここまでワンオクに憧れて無我夢中で目指す理想像のための頑張れたのは学生だったからかもしれないと思いけっこう落ち込んだりもしましたが、

そんなときでも憧れはなかなか消えないものなのでどうにかまた海外を目指したい

それも単に英語だけではなく、この先働きながら海外を目指すにはプラスアルファでなにかスキルを磨かねばと思い進路を絞りました。

英語も活用でき且つ海外市場でも戦える分野としてIT業界なんじゃないか??と思いました。(パソコンすらまともに扱えないアナログ人間

ここでもやはり経験がないど文系がIT職なんて厳しいという考えもありましたがそこはパワーでちゃんと納得してもらえるように対策しました。

 

なんとか現在はかなりよい環境のIT企業(厳密には違うけどプライバシーのため詳細は割愛)にん拾っていただきコツコツ奮闘しております。

 

総括と今後に向けて

思っていたより10倍くらい長々となりましたが笑

今振り返っても本当に原点となったのはワンオクとの出会いでした。

これがあるからいつでもあと少し頑張ってみようとか、ニヤニヤ画策できたり、芯を保っていられたりするわけです。

 

ずっと受動的な生き方をしてきた中学まではまじで何も楽しくなかったのに、今ではいろいろと熱く語れることが増えたり、頑張ったからこそ出会えた人たちがたくさんいたりと価値のある時間を過ごせたのかと思います。まじで周りに感謝...

 

実はその過程でいろいろと考えたりするようになりこうやって恥を承知で発信したりもするようになりました。正直全然書き足りないし構成もめちゃくちゃだけども。

 

思っていることや学べたことをずっと昇華させたかったので今後も気ままに発信するかも。

 

最後に今後に向けて現在考えている目標的なのはとあるバカすごい資格をとってその道に進んでみる!ということです。(まだまだ検討中なので公言はしませんが...本当に大変そうでよく考えなくては...)

 

せっかくなのでワンオクについて音楽的な話(ぜんぜん専門的な内容ではなくただ曲の思い出とかそんなん)もこれからしていきたいす。

【音楽の話】Linkin Park愛を語らせろやい

祝初投稿

初めてブログ書いてみる試みですが、

(これから気ままに投稿していくかも)

(願わくば英語の勉強も兼ねて…)

 

初回はわしの愛してやまないアメリカの伝説のロックバンド「Linkin Park」について

意外と身近に彼らのことを知ってる人や好きな人がいないことに寂しさを持ち早6年くらい…

 

たまたま久しぶりに曲聴いたりライブ映像観たりして改めてハンパねぇとタイムリーだったのでリンキン・パークについて書くことにします、少しでも興味持ってくれたら嬉しいです。

 

ここで全然関係なくなるけど、好きなことについて普段話してるとそうでもないのに、書くとなったら既に少し疲れてきていやす。

 

出会いについて

元々はONEOKROCKにハマりだした高一から音楽、それもロックというジャンルにのめり込み始め(このお話はまだどこかでたぶん。原点になったところなのでいつかは語りたい…)

ワンオクとコラボした他のアーティストだったりインタビューで影響を受けたアーティストなどで他のバンドにも少しずつ興味持っていったのですが、そこでまず最初に出会ったのがリンキン・パークでした。

 

最初の印象はとにかく「なんじゃこのくそかっけぇ曲は!?」代表作であるアルバム"Meteora"の"Numb"や"Faint"、"Somewhere I Belong"

 

まじでかっこよくてIQが著しく低下してた気がします。

ロック(ワンオク)にハマってた当時の僕は英語の歌詞の意味を知りたくてよく歌詞や曲の背景などを調べるようにしていたのですが、リンキン・パークについても同様に調べてみるとそれはそれはもう全米のモダンロックの時代を築いたとんでもロックバンドだとか(気になったら調べてみてくださいグラミーとかもぶんどってるくらいなので笑)

どっぷりハマってる頃には高校2年とかでしかも日本でワンオクとライブをするとかいうわし得なアナウンスもあり、田舎の少年は嬉しそうにその事を家族に話していたそうな(かーちゃんは一緒にハマってくれたのが嬉しかった)

 

ところがそのタイミングでリンキン・パークのボーカルであるチェスター・ベニントンが自殺により亡くなったという突然の報道がありました、、

 

あの時は本当にショックで高校でも机にうなだれて当時好きだった子に心配されてました()

 

彼の訃報のあと、よりリンキン・パークについて知りたい(なんで自殺してしまったのか)という思いでさらに色んなアルバムを聴いたり、バンドについて調べたりするのに没頭していました。

 

リンキン・パークは全盛期から激しいロックのテイストで曲をリリースしてきていましたが、最新作になるにつれ段々と曲調を変化させていきました。その事についてファンからのプレッシャーや過去のトラウマ

(これもYouTubeに動画があるので見てほしいです。https://youtube.com/watch?v=Mp6xMjyTQIQ&feature=shares)

 

から亡くなられたのではないかと言われていたり…人柄を知れてさらにこのバンドへのこだわりみたいなのが強くなりました。

 

本当にかっこいい人だなぁと生前の映像を見る度に思います。

めっちゃ優しいしフレンドリー

でも鬱に苦しめられているインタビュー動画なんかもあったり…

 

彼の死後、残ったバンドメンバーは彼の追悼ライブをハリウッドで行うことにし、これまでにリンキン・パークとご縁のあった数々のレジェンド級ミュージシャンたちとリンキン・パークの曲でコラボしました。

https://youtube.com/live/9VoLHdADma8?feature=shares

 

日本からワンオクのTakaもかけつけてコラボしていたのには感激でした。彼もロックに目覚めるきっかけが映画館で聴いたリンキン・パークだと言っていたのでどれだけ影響力があったかだとか、特別な縁みたいなのをすごく感じます

 

正直まだまだ書き足りない気がマンマンですけど衝動的に書き出して疲れたのでもしかしたらパート2とかに続くかも知らんけど

Make Chester Proud 

超かっこいい好きな曲最後に載せときます

youtube.com/watch?v=LYU-8IFcDPw&feature=shares